山部村の栄光とレガシー – ものごころついた頃には山部村も山部町もなかったのか!

山部村が1919年(大正8年)から山部町となる1965年(昭和40年)まで存続し
でも山部町はその一年後の1966年(昭和41年)にはもう富良野市に併合された

ということで考えてみると山部の栄光と遺産ってほとんどが山部村の時代のもので、私の子供時代って山部村の名残りの時代だったんだね。

私の子供の頃の山部には映画館が確か二つあり、パチンコ屋もあり、お祭りにはサーカスやお化け屋敷も来ていた。
出店も駅前の直線では足りないくらいに盛大に軒を並べていた。
石綿工場があり水あめ工場があり貸本屋もあったし書店も二件あったしおもちゃ屋だってあった。
銭湯もあったし病院も二軒ありガソリンスタンドだって複数あった。
駄菓子の店もあったしまあとにかく各種の商店は様々あったし農協以外にスーパーもあった。
学校のクラスは一クラス30人は超えていたし一学年は三クラスもあった。
運動会や学芸会には多くの人が訪れていた。
参観日にも多くの人が来ていた。
町内や部落対抗のソフトボール大会や町内や部落ごとの子供花火大会もあった。
正月には農協でタンスなど高額商品が当たるくじ引きがあったりもした。
中学の頃には中学校対抗駅伝大会もあった。
まあとにかくあの頃の山部は熱かったと思う。

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